社会主義時代の旧チェコスロバキアで楽団のコンサートマスターを務めるなど国際的に活躍し、文化交流にも尽力したバイオリニストの小林武史(こばやし・たけし)さんが19日、膀胱(ぼうこう)がんで死去した。94歳だった。葬儀は近親者で営んだ。喪主は妻明代(あきよ)さん。
1931年、インドネシアのスマトラ島生まれ。10歳で音楽教育法「スズキ・メソード」の創始者・鈴木鎮一に師事した。東京交響楽団のコンサートマスターを経て61年に欧州へ渡ったのち、旧チェコスロバキアの国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団、オーストリアのリンツ州立ブルックナー管弦楽団、読売日本交響楽団のコンサートマスターを歴任。71年からソロ活動に専念した。
團伊玖磨や伊福部昭ら多くの作曲家と交流し、團の「ヴァイオリンとピアノのためのファンタジア」第1、2番や、伊福部のバイオリン協奏曲第2番などを初演。ハチャトリアンやショスタコービチの協奏曲も日本初演した。
国際交流基金の文化使節を務め、北朝鮮、韓国、中国などでコンサートを開いた。著書に「ファンタジア わが人生」など。