92年前の夏の甲子園で、愛知・中京商(現・中京大中京)と兵庫・明石中(現・明石)が繰り広げた延長二十五回に及ぶ名勝負の結末を、小学生と両校の生徒が再現する催しが6日、名古屋市昭和区の中京大中京の体育館であった。
1933年の第19回全国中等学校優勝野球大会(現・全国高校野球選手権大会)の準決勝は延長二十五回裏無死満塁、ゴロを慌てて処理した明石中の二塁手・嘉藤(かとう)栄吉選手の本塁への悪送球により、1―0のサヨナラで決着した。午後1時10分に始まった試合の幕切れは同6時5分。4時間55分にわたる死闘だった。
延長二十五回は、引き分け再試合がなかった時代の最長記録だ。出場選手は全員が他界したが、高校野球史に残る名勝負として今も語り継がれている。
この試合の縁で、両校の開校100周年だった2023年から毎年この時期に交流イベントを行うようになり、今年で3年目。昨年は「打点のついた試合を」と延長二十六回表からタイブレークで交流試合を行った。
今年のイベントは、ミスをしてしまった嘉藤選手の気持ちを小学生に想像してほしいと、道徳教育の一環として両校が企画。当初は中京大中京のグラウンドで行われる予定だったが、雨天のため体育館に場所が変更された。事前に嘉藤選手について話を聞いた名古屋市立滝川小の6年生6人が交代で二塁の守備につき、他の守備位置には中京大中京と明石の選手が入った。「0」が計49個並んだ当時のスコアボードも再現された。
見事なストライク送球を見せた柘植(つげ)洪建(ひろたて)さん(11)は「嘉藤選手はチーム一の努力家だったから、ミスを責められなかったと聞いた。自分もたくさん努力して、みんなから信頼されるようになりたい」と話した。
捕手役を務めた中京大中京の佐藤爽楽(そら)選手(3年)は「自分もちゃんと捕らないと、と緊張した。子どもたちは思い切りプレーしていて、すごいなと思った」。中京大中京の卒業生でもある明石の高石耕平監督(43)は「野球人口も減っている中で、両校の伝統や野球のドラマを当事者として楽しんでもらう機会になればうれしい」と、小学生の姿をにこやかに見守っていた。