高校野球の発展と選手の育成に尽くした指導者に贈られる「育成功労賞」に、滋賀県内からは近江兄弟社高校(近江八幡市)で監督・部長を計36年務めた伊藤之久(ゆきひさ)さん(63)が選ばれた。「生徒に恵まれた。みんなに感謝です」と話す伊藤さんは、恩師である名将の背中を追い続けた指導者だった。
育成功労賞は、日本高校野球連盟と朝日新聞社が、各都道府県の高野連などから推薦を受けて表彰している。伊藤さんは「校務についても中心的な役割を担い、真摯(しんし)に仕事に向き合う姿は、同僚ばかりでなく他校の指導者からも厚い信頼を得ている」などとして推薦された。
伊藤さんは旧八日市市(現東近江市)の生まれ。能登川高校が1975年に選抜大会に出場したのを見て、同校に進んだ。
野球部を率いていた監督が林勝さん。伊藤さんが1年生のときには担任だった。「優しく、愛のある人だった」。林さんのような先生になることが目標になった。
大学に進学して教員免許を取得。中学校の常勤講師を経て、近江兄弟社高校で働くようになった。1986年に野球部の監督に就いた。
当時は「弱小チーム」で部員も少なかったが、前監督からは「夏に勝てるチームにしてくれ」と託された。野球部専用のグラウンドはなかった。校舎の隅っこでバッティング練習をするなどした。
恩師の林さんと同じように、愛情をもって指導することを心がけた。悩んでいる部員がいたら、家庭訪問をしたり面談をしたりした。部員不足になっては大変だから、部員を大切にした。
一方の林さんは八幡商で指揮を執り、1988~91年に夏の滋賀大会を4連覇するなど、名将として名をはせていた。「打倒八商。林先生に追いつけ追い越せでやってきた」と伊藤さんは振り返る。
そんな伊藤さんのハイライトは1993年の夏。滋賀大会の初戦で、それまで勝ったことがなかった八幡商を破った。
「林先生に勝った限りは優勝せなと必死やった」。最高成績は県大会16強で前評判も高くなかったが、勢いに乗って優勝。監督8年目にして、初の甲子園に導いた。
甲子園では初戦敗退したが、その後、林さんからは「よう(滋賀大会を)勝ったな」とねぎらわれた。「高校野球どっぷりになったのは林先生の影響が大きい」と話す。
近江兄弟社高校一筋に働いた。学校では国語を教え、生徒指導にも携わってきた。現在は非常勤講師として勤め、野球部の練習は外部コーチの立場で見ている。チームは93年以来、甲子園から遠ざかっているが「もう一度、甲子園に行きたいという気持ちはある」。
8月には、卒業生たちが育成功労賞の受賞を祝ってくれる予定だ。「監督時代の子に会えるから楽しみ」。練習する部員たちを見ながら、ほほえんだ。
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授賞式は7月6日、大津市のマイネットスタジアム皇子山である第107回全国高校野球選手権滋賀大会の開会式後に行われる。