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複数の土砂崩れが発生した石川県輪島市打越町の町内を歩く谷内均さん=2024年4月14日午前、金居達朗撮影

 能登半島地震の発生から3カ月が過ぎたが、多くの人たちが生まれ育った集落を離れ、避難生活を続けている。水道や電気が復旧していない故郷に戻れるのか、はたまた集団移転を考える必要があるのか――。将来像を描けないまま、不安な日々を過ごしている。(小川詩織、藤谷和広、西岡矩毅)

 石川県輪島市の中心部から南へ7キロほど。同市打越町は小川が流れ、田畑が広がるのどかな集落だ。

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石川県輪島市打越町と、同市大谷地区の場所
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地震で一時孤立した輪島市打越町。3月下旬でも水道と電気は復旧せず、集落に戻って暮らす人はいない=3月下旬、輪島市打越町、小川詩織撮影

 元日の地震で、県道につながる唯一の道が倒木でふさがれ、二十数人が孤立した。住民たちはチェーンソーで4日間かけて倒木を切り開き、県道で消防や自衛隊に救助を求めた。

 区長の谷内均さん(66)が避難後に一度、集落に戻ると、集落へ通じる道の2カ所で土砂が崩落していた。打越町一帯は土砂災害警戒区域に指定され、隣の市ノ瀬町では土砂に住宅が押し流され、行方不明者が出た。「もうこんな危険な場所には住んでられん」。そう思ったという。

 倒木や土砂が取り除かれ、集落に入れるようになったのは2月中旬。だが、いまだに水道も電気も通じていない。道も通れるようになったとはいえ、応急的に土砂を道路の脇に寄せただけだ。

 片付けのため、日中だけ自宅に戻った60代女性は「道が元通りになるには2、3年かかるかも知れない。元に戻っても、この家に帰ってくるだろうか」と悩む。

 金沢市などの親戚の家や2次避難所に身を寄せている住民も多く、集落の今後を話し合う機会はまだ先になる。ただ、谷内さんは、新たな場所への集団移転も選択肢の一つだと考えている。

 資金面などで行政の支援が必要だと感じており、輪島市の職員にも希望を伝えた。「すぐに行政の支援があるとは思わないが、みんなが戻ってきたら移転を具体的に検討したい」

 同じく地震直後に孤立した輪島市の南志見(なじみ)地区。里や名舟、小田屋など12の町からなり、約700人が暮らしていた。

 だが、土砂崩れで道路が寸断され、孤立状態に。一部の住民は自衛隊のヘリコプターなどで集団避難した。そのほかの住民も自主的に集落を離れ、地区に残ったのは6人ほどとなった。

 3カ月たった今も、国道249号は開通せず、住民も避難先から戻ってきていない。地震前は輪島の市街地に15分ほどで行けていたが、倍以上の時間をかけて遠回りしなくてはいけない。

 地区に残る輪島市議の大宮正さん(73)は「この道が通れないようでは、誰も戻ってこない」と懸念する。3月にようやく国が国道に仮設道路を通す案を伝えてきた。

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輪島市議の大宮正さん。南志見地区に住民たちが「少しでも戻ってきてほしい」と願う=2月上旬、石川県輪島市、小川詩織撮影

 大宮さんは連絡がとれる住民に、開通のめどについて話をして回っている。「このまま集落に人がいなくなるのは寂しすぎる。こうやって地区の現状を伝えて、戻ってこられるような希望を持たせたい」

 石川県珠洲市の北部の海に面した大谷地区。区長会長を務める丸山忠次さん(69)は「まだ将来のことを具体的に考えられる段階ではない」と話す。

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大谷地区の区長会長を務める丸山忠次さん。復旧の遅れに憤りを感じている。「後回しにされているとしか思えない」=2024年3月24日、石川県珠洲市、藤谷和広撮影
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石川県珠洲市大谷町内で唯一のスーパー。店舗が倒壊し、再開は見込めない=2024年3月24日、藤谷和広撮影
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大谷地区と市街地を結ぶ国道は通行止めが続いている=2024年3月29日、石川県珠洲市、藤谷和広撮影

 丸山さんが住む大谷町は土砂崩れや地割れで市中心部につながる道路が寸断され、孤立集落に。

大谷小中学校の避難所には一時、約400人が身を寄せた。数日後には一部の道路が整備され、自力でも2次避難できるようになった。

 問題は復旧の遅れだ。市内でも水道の復旧が最も進んでいない地域の一つで、仮設住宅の建設も始まっていない。

 丸山さんによると、地区内の避難所や自宅で生活しているのは200人余り。住民の4分の3ほどは2次避難で地元を離れた。「生活の基盤さえあれば、戻ってきたいという人は多い」という。

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珠洲市議の川端孝さん。大谷町で自転車とプロパンガスの販売店を営む。「ここで、変わらない暮らしを続けることが生きがい」=2024年3月24日、石川県珠洲市、藤谷和広撮影
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大谷小中学校のPTA会長を務めた和田丈太郎さん。真浦町で営む食堂の再開も、あきらめていない。「また、お客さんの笑顔が見たい」=2024年3月24日、石川県珠洲市、藤谷和広撮影

 大谷小中学校では、約20人いた児童生徒が新年度から5人になった。子どもが同校に通う市議の川端孝さん(60)は「復旧が遅れると、特に子育て世帯の流出に拍車がかかってしまう」と気をもむ。

 この地域では、住民が放課後子ども教室の支援員になったり、祭りばやしを子どもに教えたりしてきた。昨年度、同校のPTA会長を務めた和田丈太郎さん(51)は「地域で子どもを育てる文化がある。ばらばらになっても、つながりは保っていきたい」と語る。(小川詩織、藤谷和広)

 被災した集落を今後、どうしていけばいいのか。そんな悩みを抱える住民と対話するため、能登の集落を訪ね歩いている人がいる。

 宮城大で災害社会学を研究す…

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