1947年生まれの同学年で、駆け出しの頃から西田敏行さんと共演を重ねて公私ともに親交があった泉ピン子さんが17日、朝日新聞の取材に応じて思い出を語った。「西田君」「西やん」「敏ちゃん」「あの人」「あの男」……。西田さんについて語る時、泉さんは様々な呼び方で優しくその名を口にして、インタビュー中に何度も嗚咽(おえつ)。「お互いに貧乏な時から、何でも言い合って生きてきたのよ……」と声を絞り出した。
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長い、本当に長い間、一緒にいた親友でした。私が結婚した時、最初に夫を連れて行ったのは西田君の家。見定めをしてもらったんです。西田君は夫に「そんなかしこまったスーツを着る必要ないから」って言って、作務衣とげたを出してきた。その格好で、みんなで一緒にすし屋に行ったんです。
「妻がピンちゃんのファンだからウチに遊びに来てくんないか」。若手の頃にそう言われて初めて招かれた時、夫妻は2間のアパートに住んでいました。お互いに貧乏だった。
言いたいことも言い合った。もちろん、けんかもした。あの人、すごく調子がいいから、プライベートな約束はなんでもすぐに安請け合いするのに、当日になって「やっぱり行かない」なんて言い出すドタキャン男の一面もあるんです。だから、わざと「来なくていいよ」と言ったら来るんですよね。
- 西田敏行さんとの友情「放課後、阿武隈川の土手に来い」から始まった
「ピンちゃん、最後まで独身だったらウチの屋根裏に住んでもいいよ。飯ぐらい食わせてあげられるから」。大きな家を買った時、まだ独身だった私に、そう言ってくれたこともあった。
初めて彼に会ったのは76年、「いごこち満点」というTBSドラマでの共演がきっかけでした。制作陣から「お相手役は新劇の役者です」って聞いていたから、こっちは「どんな山崎努さんみたいな男前がくるんだろう」って思ってたら、東北なまりの「西田敏行です」ってあいさつで、あの男がやってきた。
二人であの人に食事をおねだり
とにかく、それ以降は彼との…