日本航空(JAL)のジャンボ機墜落事故から1年も経たない1986年5月23日、200人以上の遺族でつくる「8・12連絡会」の一部に、日航から一通の「お知らせ」が届いた。
その中の一文に、事務局長の美谷島邦子さん(78)は言葉を失った。
「現金を除くその他のご遺品は、(中略)関係省庁と協議の上しかるべく礼を尽くして6月中にご焼却し、(中略)納骨堂内に納められるように致します」
来月にも遺品が燃やされる――。遺族の意向を確認しないまま、決定事項であるかのように突きつけられた「通告」だった。
「遺品は命の次に大切なもの。これがJALの姿勢なのかと思うと悲しかった」
事故では乗員乗客520人が犠牲となった。墜落現場となった群馬県の御巣鷹の尾根からはカバンや時計、子供の物と思われるぬいぐるみなど数千点の遺品が見つかり、持ち主が分かったものは遺族に届けられた。
群馬や東京、大阪で展示会を開き、持ち主を探したが、損傷が激しかったこともあり、2千点超が「身元不明」のままだった。
ほのめかし続けた「焼却論」
美谷島さんら8・12連絡会が遺族を対象に行った緊急アンケートでは、大半が当面の焼却に反対した。「5月下旬、主人の手帳が出てきた。公開もしないで焼却なんてとんでもない」「あの時は涙で遺品を見ることも出来なかった。もう一度見たい」という意見が続々と寄せられた。
さらに遺品に加え、事故機の…