弁護士の橘真理夫さんは昨年4月、第一東京弁護士会の副会長に就いた。弁護士キャリアはまだ11年目の「若手」。だが年齢は66歳で、執行部の「最年長」だ。
もとは外資系の投資銀行で上級役員まで務めた、いわゆる「金融エリート」。そこから55歳で弁護士に転身した。その背景には、予想だにしない2度の「転機」があった。
1984年、早稲田大大学院で工学修士を取得し、就職した先は東京銀行(現・三菱UFJ銀行)だった。
初の有人月面着陸を成功させた米アポロ計画。70年代初頭に計画が中止になると、ロケット科学者はウォール街を目指し、金融工学を駆使して大成功を収めた――。
当時の経済紙「ウォールストリート・ジャーナル」に掲載されていた、そんな記事に興奮を覚え、金融の道に進んだ。
振り出しの東京・蒲田支店で債券の売買プログラムを開発し、さっそく頭角を現すと、本店の営業企画部、国際財務開発室と歩み、同期の出世頭として31歳の若さで米ニューヨークの支店長代理になった。
生き馬の目を抜く、世界金融の中心地だ。約3億円をかけて構築したシステムを操り、デリバティブと呼ばれる金融派生商品を1億ドル(当時の為替レートで130億円前後)単位で売買する、トレーダーとして名をあげた。
だが、順風満帆に見えた人生に、1度目の転機が訪れる。ニューヨークに赴任して3年後、交通事故に遭い、妻を亡くした。自身は生き残ったものの、身体障害者手帳の交付を受ける大けがを負った。
悲しみに明け暮れた1回目の転機。失意のどん底にいた橘さんに、意外なオファーが届きます。さらに、弁護士へとつながる2回目の転機とは。
子どもはおらず、突然、独り…