15年前の福島第一原発事故は、地震や津波のリスクだけでなく、いかに私たちの社会が「想定外」にもろいかをあぶり出した。原発回帰が進む今、国民や司法は、専門家を妄信するという過ちを繰り返してはいないか――事故前に2例だけあった原発運転差し止め判決を出した一人、元裁判長の井戸謙一弁護士は問いかける。「想定外」というマジックワードによる思考停止や弁解は、なお私たちに巣くい続けてはいないか。日本社会は、「安全神話」を乗り越えられたのか。

「過酷事故」が起きることは前提になった
――今年は福島第一原発事故から15年ですが、事故を起こした東京電力の柏崎刈羽原発(新潟県)を始め、北海道電力の泊原発でも再稼働の手続きが進んでいます。未曽有の過酷事故の後、日本は原発のリスクに真摯(しんし)に向き合えるようになったのでしょうか。
「そうは思えません。ひとたび原発事故が起きれば、無数の人権が直ちに脅かされます。15年前まで、そのリスクは『安全神話』の下で隠され、国民は十分に認識してきませんでした。多くの被災者が生じた福島の事故後、国民は原発に絶対的安全性、少なくとも福島のような事故を二度と起こさない安全性を求めるようになったはずです。しかし原子力規制委員会は、一般に絶対的安全性は達成も要求もできないとし、電力会社や裁判所も『相対的安全性』で足りると言い続けています」
――「相対的安全性」といっても、それならどの程度の安全性が求められるのか、合意点はあり得るのでしょうか?
「まさにその点は、専門家ではなく、原発の利点と欠点を総合勘案して社会が判断すべきことです。かつて、いわゆる原発訴訟の争点は『過酷事故が起こり得るか否か』でした。しかし福島の事故後、起こり得ることは誰も否定できなくなった。主たる争点は、『社会が受け入れられるリスクか』に変わったのです」
――確かに、過酷事故が起き得ることは議論の前提になりました。
「だからこそ、原発30キロ圏の自治体には新たに避難計画策定が義務づけられ、5キロ圏の住民には安定ヨウ素剤が配布されたのです。原子力損害賠償法は原則『無限責任』を定めていますが、電力会社は有限化を求めている。つまり、事故を起こす可能性を自ら認識しているとも言えます」
「今や高コストでもあり、事故を起こせば深刻な被害が生じ得るものを動かすなら、相対的安全性の範疇(はんちゅう)であっても、高い安全性が求められるのは当然です。再稼働を容認する人にとっても、そこは譲れないはず。にもかかわらず、規制委も電力会社も、現状の規制水準は『社会通念』を反映していると短絡しています。しかも多くの司法判断が、それを追認してきました」
「1万年に1回」なら無視、が社会通念?
――「社会通念」を見誤っているということでしょうか。
「例えば広島高裁は2018…







