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 戦地に向かった兄たちはどんな思いで死んだんだろう。箕面忠魂碑違憲訴訟や靖国神社合祀(ごうし)取り消し訴訟の原告となり、裁判で戦死の意味を問い続けた古川佳子(よしこ)さん=大阪府箕面市=が今年5月に亡くなった。98歳だった。「戦場に果てた兄と同じでありたい」。他界後、そんなはしり書きが見つかった。自宅の庭では生前慈しんだ花が今夏も咲いた。

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生前、自宅の庭に咲いたオオマツヨイグサの花をめでる古川佳子さん=2021年7月、大阪府箕面市、中野晃撮影

 古川さんは18歳で敗戦の日を迎えた。「これでお兄ちゃんたちが帰ってくると思いました」と生前の取材で記者に語った。しかし、一片の「死亡告知書」だけが戦後に届いた。

 長兄の小谷啓介さんは1945年5月、ビルマ(ミャンマー)で、次兄の博さんは44年12月、台湾沖西方の海上でともに戦死していた。27歳と24歳だった。長兄は紡績会社で真面目に働いていた。次兄は絵が得意で、駐屯した満州(中国東北部)の風景をメモ帳に残していた。

 戦後、一日千秋の思いで生還を待ち続けた古川さんの母は、息子を2人とも奪われた怒りを短歌にこめた。

 《是(こ)れに増す 悲しき事(こと)の何かあらん 亡き児(こ)二人を 返せ此(こ)の手に》

 古川さんは、2人の兄から届いた計200余通の手紙や戦地に赴く前の日記を読み返した。行間から帰還後への期待や希望が感じられた。戦争で命を絶たれた兄たちはどんなに無念だったろう。「兄たちはお国のため天皇に忠義を尽くすために死んだのではない」と思った。

 明治期から「(戦没者の)天皇への忠死をたたえる」ため各地に建てられた忠魂碑。その移設費を箕面市が公費負担したのは「憲法の政教分離原則に反する」と訴え、約10人の市民で76年に提訴した。大阪地裁判決は違憲と指摘して勝訴したが、大阪高裁、最高裁は合憲と判断し、敗訴した。

 2006年には戦死者遺族らが靖国神社に合祀の取り消しを求めた訴訟に「軍神としてまつられるのは耐えがたい」と原告に加わり、法廷に通った。

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戦死した小谷啓介さん(左)と博さんの写真。古川佳子さん宅で額縁に入れられて飾られていた=2025年6月、大阪府箕面市

 最高裁で敗訴後も、靖国神社に合祀取り消しを求める文書を送った。2人の兄は戦後に合祀され、「大尉」「軍曹」と軍の肩書がついていた。「死んでも軍隊にとらえられている。早く解放してあげたい」と願った。

 娘の熊谷早苗さん(67)=京都市=もこの訴訟の原告になり、古川さんの島根での講演に同行するなど取り組みを見守った。「母は活動を重ねるうちに、兄たちへの思いが一層積み重なっているようでした」

 古川さんは、次兄と同じ部隊にいたことがあり、フィリピンで戦死した詩人の竹内浩三の詩を愛読した。

 《アア 戦死ヤアハレ 兵隊…

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