
1945年9月、島にソ連軍がやってきた。島民は少しずつ島を去った。河田弘登志さん(91)も、秋が深まるなか、通学のために島を離れることになった。
弟と船に乗り込もうとしたその時、「ちょっと待て」と呼び止められた。ソ連兵だ。
「学校ダメなのかな」
待っていると、先のソ連兵が新品の2人掛けの机を二つ持って戻ってきた。「向こうにないだろうから持っていって使え」。そう言っていた。
このソ連兵は夏休みの間、河田さんの遊び相手だった。友達はみな早々に島から逃げていた。河田さんは、父親と祖父が乗っていた運搬船がソ連軍の指示で日本軍の残した武器の海中投棄に使われていたため、逃げられなかった。
ソ連兵は名をアレクセイと言った。背が高く、勉強を重んじる青年だった。言葉は通じなかったが、身ぶり手ぶりで通じ合い、名前を教え合った。普段なら昆布漁の手伝いをしている時期だが、漁に出る者はもういない。遊び道具もないので、アレクセイについてまわった。
島にやってきたソ連軍のなかには日本人のような見た目の兵士もいた。子どもながら、「あっちこっちから兵隊を集めているんだな」と思った。怖いとは思わなかった。
アレクセイはよく崖の上から沖の方をめがけてボーンボンと鉄砲を撃っていた。何を狙うでもなく、ただの暇つぶし。
1度だけ撃たせてもらったことがある。
大きな身体で背中側から包み…















