1月1日に発生した能登半島地震では、被害が甚大だった石川県輪島市などの中学生約400人が2カ月ほど、親元を離れて県内の別の自治体に集団避難しました。他県から教員らの応援が入るなか、文部科学省の職員として応援に入った小久保智史行政改革推進室長(当時)に、当時の様子や見えた課題を聞きました。
――文科省からの派遣第1陣として、他2人と共に2月5日から5日間、石川県の白山市に入りました。どんなことをしたのでしょうか?
応援に入ったのは、市立輪島中学校の3年生が避難している青少年施設でした。生徒たちはここで寝泊まりも学習もしていました。集団避難は1月中旬から始まっていたので、途中から参加した形です。
輪島中学の教員数人と全国から派遣された応援教員約10人に加え、地域のボランティアの方たちも加わって生徒たちを支えていました。教員らは基本的に他の宿泊施設から通う形式でしたが、当番制で夜間の支援に入る教員もいました。
私は中学校の社会科などの教員免許を持ち、文科省からの派遣で公立中で教えた経験があります。今回は受験期ということで、社会科を中心に個別に弱点を補う指導やテストの採点など学習指導の補助がメインでした。掃除や食事、休み時間の見守りなど生活指導の支援も行いました。
――応援に入った中で見えた課題や難しさなどはありましたか?
輪島の先生方は疲労がたまっていたと思います。学習と生活の場の区別がなく、生活面のフォローや生徒指導の比重が高まっていました。忙しい中で生徒たちの心のケアも丁寧にしていました。生徒はもちろん、先生方もオンとオフの切り替えが難しそうでした。人手を補うだけでなく、精神的サポートも必要だと感じました。
受験の繊細な話やプライベートな話は、生徒たちをよく知る先生の代わりができません。応援教員に何ができるのかを考える時は、現場の先生方の目線に立つことを常に大切にしていました。
忘れられない体育館での生徒の表情
――生徒たちを見ていて気に…