
聞きたかったこと 広島
「あんた、どこの子だ」。近所の大人にそう聞かれ、父の名前を告げると、「あんたの父ちゃんは頭がええけえの」と返されるのが、誇らしかった。
広島市西区の鈴木彰さん(89)は夏が近づくたびに、父の千松(せんまつ)さんのことを思い出す。
役場で戸籍係をしていた。カメラが趣味で、家族写真を撮ってくれた。陸軍に徴兵されてからは、志和口(現・広島市安佐北区)の自宅から父のいる市中心部の練兵場まで会いに行った。父が言うには、手先の器用さを買われて戦地に行かずに済んだらしい。「わしはおけを作るのがうまいから、内地に残してもらったんじゃ」。母も祖母も「これで戦地にいかなくて済んだ」と内心よろこんでいるようだった。
1945年8月6日の朝は、国民学校で習字の授業中だった。窓際でピカッと何かが光った。「最初は誰かが鏡を使っていたずらしているのだと思った」。直後、ぐらぐらと校舎が揺れ、「ドーン」と衝撃が走った。やがて、大きな雲が立ち上るのが見えた。「敵の攻撃だというのは分かったが、広島市中心部がどうなっているのか、この時は想像もつかなかった」
安否の分からない父を捜しに、広島市中心部に入ったのは2日後のことだ。幼かった弟と妹を自宅に残し、祖母と母と3人で。猿猴(えんこう)橋を渡り、練兵場を目指した。煙やほこりで覆われ、視界が悪かった。橋からは川に浮かぶ無数の死体が目に入り、水底にもびっしりと敷き詰められているように見えた。
母と祖母は、路上でうつぶせの死体をひっくり返し、父かどうかを確かめながら歩いた。「まともには見られなかった。早くここから離れたいという一心だった」。その日、父を見つけることはできなかった。
「あの感覚」今でも忘れられず
8月10日に軍から父が戸坂…













