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2003年の自民党総裁選に立候補した藤井孝男氏(右)。当時の小泉純一郎首相(右から2人目)が再選を果たした=2003年9月20日、自民党本部
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 自民党岐阜県連顧問で県連会長や運輸相を歴任した藤井孝男さんが13日、急性心筋梗塞(こうそく)のため死去した。83歳だった。衆参で計9期務め、2003年の総裁選では小泉純一郎首相(当時)と争った。県内の関係者からは惜しむ声が聞かれた。

 岐阜県白川町出身。成城大を卒業後、民間会社を経て父・丙午(へいご)参院議員の秘書に。1981年の参院補選で初当選した。

 大蔵政務次官などを務めた後、93年の衆院選では旧岐阜2区にくら替えして当選した。

 96年に小選挙区が導入されると、地盤が重なる金子一義元国交相と、小選挙区と比例区で選挙ごとに候補者を入れ替える「コスタリカ方式」で当選を重ねた。97年には運輸相に就任した。

 橋本派に所属。陽気な性格で、親しみを込めて「橋本派の宴会部長」と呼ばれた。

 2005年に小泉内閣が国会に提出した郵政民営化法案に衆院議員の野田聖子氏=岐阜1区=や古屋圭司氏=同5区=らとともに反対票を投じた。同年の「郵政選挙」では無所属で立候補し落選した。

 07年の参院選で当選し、自民に復党したが、10年に再び離党。たちあがれ日本や日本維新の会などを渡り歩いた。16年に自民に復党し、17年の衆院選に自民党公認で比例東海ブロックから立候補したが落選し、同年に政界を引退した。

 野田氏は「明るい人柄で、先輩として公私に渡って仲良くしていただいた。人間として強い方だった」と振り返った。新人時代、国会での立ち振る舞いも学んだという。一昨年に会食し、昨年も食事に誘ったが「体調が良くない」という返事だったという。

 藤井氏の元秘書で衆院議員の加藤大博氏=岐阜4区=は突然の悲報を嘆いた。3月に昼食を共にし、5月にも会う予定だった。「藤井先生を見て政治の世界に入った。地元のために献身的で、誠実な人だった」と惜しんだ。

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