母はロシアの民族舞踊団の歌手でした。ソ連が崩壊した直後に僕を産んで、僕が5歳の時にロシア人の父と離婚しました。その後、公演で来日した時に、僕の新しい父親となる日本人と出会ったのです。
母は好き嫌いがはっきりしていて、嫌なことは我慢しない人。その性格のおかげで離婚して、僕はこうして日本にいる。それは僕にとって良かったことで感謝しています。
ただ、母は日本が好きだから来たのでなく、父を好きになって来ただけだから、日本の生活で納得できないことがあると「もうロシアに帰る」とよく怒ってましたね。その度に父が何とか解決してたんですけど。
学校のことでも「夏休みなのに宿題が多すぎ」って言って、うちは宿題をしなくてもいいことになっていました。夏休みはロシアに帰るから宿題を全部持っていけないって、母が学校に説明して。中学は冬でもマフラー禁止だったんですけど、母は「じゃあ暖かくなってから学校へ行けば」って。それで昼ごろから学校に行ったこともありました。
でも、母もがんばってました…