
馬と生きる〈歴史編〉
北海道十勝地方、本別町歴史民俗資料館の一角に、一房の馬のたてがみが展示されている。
硫黄島で戦死するまで肌身離さず持っていた西竹一・陸軍中佐(戦死後大佐昇進、享年42)の遺品とされる。
西には愛馬がいた。
1932(昭和7)年のロサンゼルス五輪馬術競技・障害飛越の相棒「ウラヌス」。金メダルに輝き、国内外で一大旋風を巻き起こした。
東京・麻布出身の西の遺品がなぜ、たった1年ほどしか暮らしていない本別にあるのか。
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西は男爵(バロン)の家に生まれた。ロス五輪での愛称は「バロン西」。
ウラヌスとの出会いは、ロス五輪の2年前、「良い馬がいる」との評判を聞いて、西がイタリアまで出向き、私費で購入した。前の馬主がその馬体の大きさに持てあましてしていたのを、西は見事に乗りこなす。次のベルリン五輪にも老齢のウラヌスとともに出場したが、日本は団体6位入賞にとどまった。
時代は戦争に向かっていく。39年春、西は、本別町の陸軍・軍馬補充部十勝支部に赴任した。
軍馬補充部は2歳になる馬を、周辺の生産者から購入し、5歳まで育成・調教する施設。明治時代に馬の一大産地だった十勝に設置された。

育てられた「軍馬」はやがて戦地に送られ、道路事情の悪い戦地で軍需品の輸送などを担った。資料館の展示された当時ポスターには「馬は兵器だ」と書かれたものもある。
資料館によると、西の仕事は…









