能登半島地震の被災地でボランティアとして活動した埼玉県内の大学生による報告会が23日、鴻巣市の県防災学習センターであった。地震発生からまもなく半年を迎えるが、被災地の復興にはかなりの時間を要すると見込まれ、息の長い支援が欠かせない。報告会を開いた理由のひとつは「被災地から離れた関東に住む人の関心が薄れているのではないか」との危機感だった。
報告会を企画したのは、県内にキャンパスがある立正、聖学院、埼玉県立の3大学の学生たち。今年2月以降、計34日にわたってのべ40人の学生が、地震や津波で大きな被害を受けた石川県能登町を中心に、被害を受けた住宅の片付けのほか、被災者が望んでいる支援内容の調査などの活動に取り組んだ。
能登町ではこれまでに9人が犠牲となり、全半壊した家屋は1千棟を超すなど甚大な被害が出ている。
報告会では、各大学の学生が現地での活動内容や活動を通じて感じていることなどを紹介した。
聖学院大学の竹内康紘さん(19)は3月から毎月、石川県を訪れている。これまでにボランティアセンターの運営や現地調査の補助、家財道具の運搬などに関わってきた。
最初に能登町を訪れたときは、倒壊したままの家屋、あちこちで土砂崩れが起きている町の様子を見て「3カ月が経とうとしている時期なのに、つい数日前に(地震が)起きたばかりのようだ」とショックを受けた。あまりにも大きな被害を前に無力さを感じたという。
本当は困っているのに、自分で声をあげられない人がいる。「周りはもっと大変だから、と遠慮する人がたくさんいた。『助けてください』と言うのはハードルが高いこと」。いまは、表に出てきにくい困りごとを掘り起こす段階にあると考えている。7月以降もボランティアを続ける予定だ。
立正大学の梅澤里菜さん(20)は現地に行く前は「同じ日本なのに、どこか遠くの出来事のような感覚だった」と話す。現地では、被災した住宅を一軒一軒訪ね、困っていることは何かを聞いてまわった。津波で家屋に大量の砂が入り込み、途方に暮れている人がたくさんいた。
感じたのは、顔が見える関係の大切さだ。訪問中、「ここは空き家だよ」「いまの時間はいないよ」と近隣住民から何度も教えてもらった。「わざわざ埼玉から来てくれたんだね、ありがとう」と言われ、励みになったという。
埼玉に帰ってから、近所の人にあいさつするようになった。「災害はどこでも起こりうる。日頃からどういうことができるかを考え続けたい」
埼玉県立大学の塚本陽香さん(19)はこれまでに2回、能登町を訪れ、家屋被害の調査や家財道具の整理などを担った。
一見、被害がなさそうに見えても、中に入ると生活を続けることが難しい状態になっている住宅を多く目にした。床が傾いていたり、扉がずれていたりしている家もあった。
家財道具の整理を手伝った高齢女性の家を訪れた時のことが特に印象に残っているという。津波によって水に浸ってしまった娘の結婚アルバムを「もうゴミだから」と捨てようとしていた。「やるせなさや疲れから、諦めの気持ちが強まって、そういう気持ちになってしまったのかなと思うと、私もつらかった」
作業をしながら会話をしていくうちに、女性は捨てることを思いとどまった。塚本さんは「誰かと話すことが、気持ちの整理や不安を和らげることにつながると感じた」と話す。
装備や交通費など、活動にかかる費用は決して少額ではない。活動費の一部には大学の教職員によるカンパを充てているが、大半はアルバイトでためたお金でまかなっている。
「ボランティアをしたくても難しい人もいる。周りの人と能登について少し話すだけでもいいので、関心を持ち続けることが大切」と学生たちは話している。(中村瞬)