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 16日は近衛文麿(1891~1945)が亡くなって80年にあたります。日本内閣史上、自ら命を絶った唯一の首相です。3度にわたり内閣を組織し、第1次内閣で盧溝橋事件が発生、第2次では日独伊三国同盟を締結、第3次では対米開戦を避けられませんでした。近衛を研究している防衛研究所の庄司潤一郎研究顧問は「近衛の真骨頂は45年8月の終戦後から亡くなるまでの4カ月間にあった」と語ります。

  • プーチンと近衛文麿、戦時下での演説で発した共通の言葉

 ――近衛は早くから終戦工作に動きました。

 開戦に反対だった近衛は、真珠湾攻撃の戦果に酔う人々を横目に、「えらいことになった。僕は悲惨な敗北を実感する。こんな有り様はせいぜい2、3カ月だろう」と沈痛な表情で周囲に漏らしたそうです。早くから終戦工作に着手し、44年7月の東条内閣退陣の流れを作りました。

 ――近衛は45年2月、昭和天皇に上奏しました(近衛上奏文)。

 近衛は上奏で、国体護持(天皇制の維持)の観点から、戦争の継続は日本の共産化を招くため速やかに戦争を終結すべきだと主張しました。連合国が同年7月に発表したポツダム宣言の受諾を巡って政府内に動揺が見られた際には、「此(こ)の際形式と文字に拘泥せず、大局より国家を救うべき」と鈴木貫太郎首相に進言し、8月15日の終戦につながりました。

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■なぜ、近衛文麿は国体護持に…

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