
奈良県明日香村の甘樫丘(あまかしのおか)遺跡群で、7世紀後半に造られたとみられる塀跡がみつかった。村教育委員会が18日発表した。小規模な倉庫などを囲む塀跡だったとみられ、専門家は、律令国家の成立を目指した天武・持統両天皇の時期の甘樫丘には官僚層の住宅施設があった可能性を指摘する。
甘樫丘は、飛鳥時代の歴代天皇の宮殿エリアの西側に位置し、飛鳥の中枢を守る防衛拠点だったとみられる。「日本書紀」によれば、飛鳥時代前半の有力豪族で、天皇をしのぐほどの権勢を誇った蘇我蝦夷(えみし)と息子の入鹿(いるか)が邸宅を築いたが、645年の乙巳(いっし)の変で焼き払われたとされる。
村教委は昨年7月から関西大と共同で、丘の東側に位置する昨年度の調査地の南側約180平方メートルを発掘調査。7世紀後半に築かれたとみられる1辺約1・2メートルの方形の柱穴が5カ所みつかった。塀の西南角にあたり、昨年度の調査成果も合わせると南北15メートル以上、東西7・2メートル以上の敷地を区画する塀があったようだ。
- 飛鳥時代を通じて開発か 甘樫丘遺跡群で7世紀以降の建物跡など出土
木簡に何が書かれていたのか?
塀跡は、昨年度までの調査で…












