
福岡県 久留米城(上)
福岡県久留米市にある久留米城は、16世紀の室町時代に始まり、1587(天正15)年の豊臣秀吉による九州統一後は、小早川秀包(こばやかわひでかね)が13万石で入って城を整備した。秀包が1600(慶長5)年の関ケ原の戦いで西軍に味方して改易になると、32万石の大名として田中吉政が福岡県柳川城に入り、久留米城は柳川城の支城になった。しかしその後、久留米城は廃城になった。
1620(元和6)年に田中家が断絶すると、翌21年に有馬豊氏(とようじ)が21万石で久留米城主になった。豊氏は廃城になっていた久留米城を大規模に築き直し、1631(寛永8)年頃までに本丸を完成させたという。その後、有馬家は60年ほどかけて城の外郭まで完成させた。
そして実際に久留米城本丸に残る石垣を見ると、この時代の最先端技術を駆使していて、江戸幕府の城であった大坂城に匹敵した最高の石垣と評価できる。しかし豊氏は、なぜ最高の石垣技術をこれほど自在に駆使できたのか。それには理由があった。豊氏は、とても厳しい「石垣普請(ぶしん)強化合宿」に2度も参加して、技術を身につけていたのである。
- 長篠、関ケ原…合戦の通説に切り込む 異例対談から見えた実像とは
その強化合宿とは、江戸幕府…
