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【GLOBE特集】日記のひみつ(6)=全6回

 世界一有名な日記といえば、「アンネの日記」をおいて、他にないだろう。日記は、書き手が置かれた状況によっては歴史的証言にもなりうるものだが、「アンネの日記」ほどその本領を発揮した例も珍しい。

 「アンネの日記」が2021年、初めて網羅的にデジタル公開された。プロジェクトを率いたのは、ホイヘンス記念オランダ歴史研究所のピーター・デ・ブラウン氏(61)だ。

 現存する日記に加え、アンネ・フランクが残した小説や童話などあらゆる文章をインクの染み一つにいたるまで記録し、作品同士のつながりを調べた。

写真・図版
「アンネの日記」の網羅的なデジタル化を率いたホイヘンス記念オランダ歴史研究所のピーター・デ・ブラウンさん=本人提供

 プロジェクトの過程では、のりで封じられて未確認だった2ページを画像解析で解読することに成功した。だが、デ・ブラウン氏によれば、最大の発見は、「一人のティーンエージャーが執筆技術を磨き、試行錯誤しながら成長していく過程を浮かび上がらせたこと」だという。

 アンネが両親から赤いチェック柄の日記帳を贈られたのは1942年6月12日、13歳の誕生日のこと。その日、のちに「キティー」と名付けるこの真新しい「友人」に、アンネはこんなふうに話しかける。

 〈あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話しできそうです。どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね〉

 それからわずか1カ月後、一家はナチスの迫害を逃れるため潜伏生活に入った。アンネはその後もアムステルダムの隠れ家で約2年にわたって日記を書き続けた。

 戦後、フランク一家の中で唯一ホロコーストを生き延びた父オットーが娘の遺志を継いで刊行した「アンネの日記」は、ナチスの犯罪を暴露した唯一無二のドキュメントとして約70言語に翻訳されている。

 「アンネの日記」には、初めに書かれた日記ともう一つ、改稿原稿が存在する。1944年春、オランダ亡命政府が「戦後、占領下を生きた市民の日記や手紙を集めて出版したい」とラジオで呼びかけたことをきっかけに、アンネは隠れ家生活を続けながら、それまで書いた日記の改稿に着手した。

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 これまで研究者たちに、オリ…

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