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白山市での集団避難から輪島に戻り、出迎えの母親と再会する中学生ら=2024年3月22日午後5時9分、石川県輪島市、上田潤撮影
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 1月1日に発生した能登半島地震では、被害が甚大だった3市町の中学生のうち半数近くの約400人が約2カ月間、親元を離れて集団避難をした。子どもたちの学ぶ機会を確保するための異例の取り組みだ。参加者は避難先でどのように学び、暮らしていたのか。生徒や学校関係者らを取材した。

 中学生の集団避難は、石川県輪島市、珠洲市、能登町の中学生のうち、保護者の同意が得られた生徒を対象に1月中旬から約2カ月間実施。輪島市では258人が同県白山市に、珠洲市と能登町では計142人が金沢市にそれぞれ避難した。同行した教諭らによる授業を現地で受けながら、寝食をともにした。能登町では2月下旬にいち早く終了したり、3年生は卒業式のタイミングにあわせて帰還したりしたが、全ての中学生がふるさとへ戻ったのは約2カ月が経った3月22日のことだった。

 輪島市教育委員会によると、集団避難中は白山市にある県の宿泊体験施設で寝泊まりし、市内の中学校を間借りして授業をした。各学校、各学年ごとにわかれて行われ、各教科の教員がそれぞれ同行したこともあって、進度などへの大きな影響はなかったという。

国や県の協力で、県内外の他校の教員が授業や生活指導の補佐に入ることもあった。また、コロナ禍での経験も生かして、進度調整のため輪島市に残った生徒らとオンラインでつないで一緒に授業をすることも。県などの計らいで、土日には息抜きとしてスキーや映画観賞といったイベントが企画されたという。

「みんなで過ごせたことが自信に」

 白山市へ集団避難していた輪…

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