Smiley face

翻訳家・児童文学評論家 清水真砂子さん(中)

写真・図版
ル・グウィン(右)と2日間、語らった=2003年、米オレゴン州、清水さん提供

 《1960年、静岡大学教育学部英語科に入学。シベリア抑留の体験記をつづり、翻訳家としても知られた高杉一郎(本名・小川五郎)の教えを受けた》

 先生が授業で話す言葉がみずみずしく、美しかった。シベリアに抑留されていた春先、森の奥で雪が溶けて水が流れ始める。春がやってくる息づき、冷え冷えとした空気さえ感じられる話し方をなさった。いつかこんな凜(りん)とした日本語を手にしたい、と思いました。

 当時、グレーブスの「ギリシア神話」上巻の翻訳を終えられたばかり。クロポトキンの「ある革命家の思い出」を翻訳中で、授業を通して、世界への窓を大きく開けてくれました。

 教員住宅は大学のすぐそばなのに、いつも30分ほど遅れて、「明け方まで本を読んでいて、つい寝坊をしてしまった」と。そして、自分が本当に心動かされた文学について話してくださった。それが面白いのね。実際には、朝まで翻訳されていた日があったかもしれない。

 翻訳家・児童文学評論家の清水真砂子さんが半生を振り返る「語る 人生の贈りもの」。全3回の連載の2回目です(2026年9月半ばから10月初めにかけて文化面で掲載した記事を再構成して配信します)。3回目は15日に配信します。

  • 【1回目はこちら】清水真砂子さん「ゲド戦記」と半世紀 原点は38度線越えを支えた手

 《児童文学評論家として出発するきっかけを与えられた》

 ゼミにも所属し、英国ファンタジーの先駆けであるキングスレーの「水の子」を題材に英文の卒論を書きました。卒業後しばらくして「半分に縮め、日本文に書き直してよこしなさい」と手紙が届いた。それが初めて書いた評論で、県文学連盟の「文芸静岡」に巻頭論文として載ったのです。「あなたの文体は評論に向いている」という先生の言葉に背中を押され、児童文学の評論を書き始めました。

 2004年5月に「ゲド戦記」第6巻が書店に並ぶと、「ゲド戦記完結おめでとう!」とはがきが届きました。抑留後の人生を蘇(よみがえ)らせるきっかけとなったのは、スメドレーの「中国の歌ごえ」の翻訳だったことを思い出した、と書かれていました。

「もっとけんかしたかった」

 《1964年、静岡県立高校の英語科の教員に》

 厳しかった実家の暮らしは大…

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