
Re:Ron特集「考えてみよう、戦争のこと」 映像作家・奥間勝也さん寄稿
戦後81年、文学や映画、アートなど様々な形で戦争と向き合っている人たちに、子どもたちに伝えたい、一緒に考えたい「言葉」をつづってもらいました。
私は沖縄で生まれ育ち、今は映像を作る仕事をしています。一昨年、『骨を掘る男』というドキュメンタリー映画を発表し、今年は同じタイトルの本を刊行しました。沖縄戦の戦没者の遺骨収集を40年以上続ける具志堅隆松さんを追った物語です。映画と本を作って発表する中で、「どうしてだろう?」と不思議に思うことがあります。
それは「戦争の話題はなぜ8月に集中するのか?」ということです。1945年8月15日の玉音放送で敗戦が決定的になった事実がそうさせているのでしょうか。毎日の生活の中でずっと戦争のことを考えるのは難しいですから「せめて8月だけでも」ということなのかもしれません。
けど、別にいつだって戦争のことを考えていいと思うのです。残念なことに、いつだって世界のどこかで戦争や戦争に近いことが起きていますから。
当然ですが、戦争で人が死んだのは45年の8月だけではありません。
日本は31年の満州事変からおよそ15年間も戦争をしていました。その間ずっと〝日本人〟は戦争で死に続けていました。現在の日本の国土の中だけで〝日本人〟だけが死んだわけでもありません。当時の日本軍はいまの日本の領土の外、例えば中国やフィリピン、南洋などでも戦っていたからです。
8月に日本で戦争のことを考えると、つい日本で死んだ〝日本人〟のことだけを考えてしまいがちです。でも、日本から遠く離れた場所で〝日本人〟は誰かに殺され、同じように〝日本人〟も誰かを殺していたのです。しかも日本が自ら他国の土地に攻め入る形でその戦いは始まりました。元々その場所に住んでいた人たちも巻き込みながら、殺したり殺されたりを続けていたのです。そして見逃してはならないのが、当時の〝日本人〟の大半はそのことを積極的に推進していたという事実です。
だから私はこう思います。
8月に〝日本人〟の死者の慰霊を考える一方で、8月の前や後に死んだたくさんの〝日本人〟以外の死者の慰霊も一緒に考えなければならない、と。

■認知症になった家族の言葉
「でもそれってどうやればいいんだろう。難しいかもな」。昔の自分ならそこで立ち止まったままだったかもしれません。でも今は「できるんじゃないか」と思うようになった自分がいます。少なくとも「まずは小さくてもなにか行動してみよう」と考えるようになりました。なぜそうなったのかについて、これから話したいと思います。
国内最大規模の地上戦となった沖縄戦では、日米の兵士や民間人など合わせて20万人以上が亡くなり、沖縄の住民は4人に1人が命を落としました。家族全員が死亡した例もめずらしくはありません。混乱の中で、どこで死んだかもわかっていない人たちがたくさんいます。そのような人知れず息絶えた人たちの遺骨はまだ沖縄のどこかに残されたままになっていて、現在も1千~3千体ほどの戦没者の遺骨が未収容だと言われています。
実は、私の大叔母の國吉正子も遺骨が見つかっていない戦没者の一人です。私が作った映画では、具志堅さんの遺骨収集の活動を撮影させてもらいながら自分と正子の関係を見つめ直し、過去の戦争に対してどのように自分が関わり合えるのかを模索しました。
「会ったことのない者の死を悼むことはできるのか?」
映画も本もこの問いを導きの一つとして進行していきます。この問いが私に真に迫ったものとして立ち現れた契機にある出来事がありました。
正子の在りし頃の写真を、彼…
