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 残りもラスト1週となった連続テレビ小説「ばけばけ」。トキ(高石あかり)の協力を得ながら、ヘブンは「怪談」を完成させました。ふたりのモデルとなった小泉八雲、セツ夫妻のひ孫、小泉凡さん(64)は、著書「セツと八雲」(朝日新書)の中で、セツと出会わなければ八雲は「文豪にばけることもなかった」と述べています。後世に名を残すことになる数々の著書が生まれたのには、セツの支えが欠かせなかったといいます。(聞き手・木元健二)

  • 「ばけばけ」ひ孫がぐっときた場面 確かめ合うトキの「ウィジュー」

夏目漱石「小泉先生の後釜になれぬ」

 熊本での暮らしが3年近くで終わりを迎える頃。1894(明治27)年、八雲による「知られぬ日本の面影」が米国で出版されました。山陰の市井の暮らしを紹介しつつ、セツが語り伝えた怪談や妖怪の話を織り込んでいます。評判になり、版を重ね、出世作になります。以降も毎年のように著作を発表してゆきます。

写真・図版
「知られぬ日本の面影」初版本書影=小泉八雲記念館提供

 熊本時代の月給は200円。松江の頃は100円で、それでも知事に次ぐ高給取りといわれていました。これに著作からの印税も加わり、相当な収入が得られるようになります。

 ちなみに八雲が熊本を去って2年後、17歳年下の夏目漱石(本名・金之助、1867~1916)が第五高等学校(当時)に着任します。八雲は神戸を経て、東京で帝国大学の講師となるのですが、帝大の後任となったのも漱石でした。漱石の足跡は、一時期から八雲の後を追うような格好で残されています。

 さらに言えば、漱石の没後、妻の鏡子が語り、弟子の松岡譲が筆録した「漱石の思い出」という作品があります。これはセツによる語りを遠縁の歴史家三成重敬が口述筆記した追想記「思ひ出の記」から影響を受けたとされています。

 「漱石の思い出」にこんなくだりがあります。

迫りくる老い 妻子の「それから」思い、日本人・八雲に

 〈夏目の申しますのには、小…

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