プロとしての終わりは、あっけなく訪れた。
「もう、やめとき」
そんな風に、指導者から引退を勧められた。話をされた部屋には雑誌が積み上がり、汗と紙とたばこのにおいが鼻をついた。
引退してから2年間のことは、あまりよく覚えていない。「記憶が飛んでるというか………。真っ黒のイメージですね」
工場、ファミリーレストラン、パン屋、ホストや客引き。「かわいい子がいる」という理由で働き始めてはすぐに辞め、また無収入に。20くらいは職を転々とした。つき合う女性に生活費をもらった。
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プロボクシング選手だった長野憲次さん(42)は、「クズですね」と自虐的に笑った。
兵庫県の公立高校で硬式野球に打ち込み、キャッチャーだった。2学年上にはプロ野球で活躍した内野手もいた。家計が苦しく、中学時代の軟式用のミットを使っていたので手が腫れたのを今でも覚えている。
高3の夏で引退した後、18歳になるころにボクシングを始めた。チーム競技でうまく立ち回れずに活躍できなかったという思いがあり、自分一人の実力で上を目指せるボクシングで認められる存在になりたいと考えた。
「センスあるな」と持ち上げられたが、友だち100人に見にきてもらったデビュー戦でTKO負け。初勝利は3戦目。約4年のプロでの戦績は3勝7敗1分けだった。
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2009年7月、ジムの中にある部屋で促され、24歳でひっそりと引退した。
「ボクシングだけを見ていた。だから終わった瞬間、人生の設計図も消えた。引退後のことは何も考えていなかった」
アスリートのセカンドキャリアは、スポーツ界の課題の一つでもある。
有名選手は引退後もメディア…














