
2025年度大学入学共通テストの国語では、観光社会学者の評論が取り上げられた。その名も「観光は『見る』ことである/ない――『観光のまなざし』をめぐって」。オーバーツーリズムやコロナ禍など、現代的な問題にも言及している。著者である立教大学教授・高岡文章さん(50)と問題を読み解きつつ、観光を探究することの面白さを尋ねた。
- 2025年度大学入学共通テスト 国語 問題全文
見つつ、見られる観光者
実はこの評論、高岡さんにとっては書くのに苦労した文章だったという。
評論は、知人のメディア研究者が編集した本、「〈みる/みられる〉のメディア論」のために書き下ろした。タイトルの通り、本の大部分はメディア系の論文で構成される。
観光も「見る」と密接なテーマだとして依頼されたが、限られた紙幅で、一般読者にも伝わる内容にしないといけない。「専門家向けでなく、普段とは少し違う筋肉を使う感じ。でもそれが結果的に、入試問題として採用される一因になったかも」
問題を見て驚いたのは、自分が強調したいところにことごとく傍線が引かれていたことだ。
問3では、観光において見ることが、「『する』こととの対比において、価値のないものとみなされてもきた」という記述が扱われた。
観光研究では伝統的に「見る」が重視されてきたが、体験や交流など「する」の方が重要だという意見も強まった――。評論はそんな歴史を紹介しつつ、しかし観光にはそのどちらかだけでもない複雑さがある、と展開していく。傍線部は、その起点の理解を問うものだった。
問5では、「見る」と「する」が「ともに踊る」関係にある、という部分に傍線が引かれた。観光研究の大家の表現を引用した記述だが、高岡さんは「単なる引用というだけでもない」と話す。
引用の後、評論は日本の社会学者による東京・渋谷の研究に言及する。ファッションビルはおしゃれな人々が集まる街と宣伝し、そこでは見ることはもちろん、見られる身体も魅力となっていく。この事例を通し、今度は高岡さん自身の言葉として、まなざしと身体が「ともに踊る」のだと表現した。
記事の後半では、高岡さんに観光研究の面白さを聞きました。暴力に無自覚に加担するでもなく、だからといって観光をやめろというわけでもない。そんな立場から考えることで見えてくる「面白さ」「楽しさ」とは。
「人間動物園」とサファリパーク 見るのはどちらか
最後の問6は、見る・見られるを考える上で「サファリパークは示唆的である」と評した部分について。著者としても、読者に伝わるだろうかと悩みつつ書いた部分だったという。
評論は「見る」の負の歴史として、19~20世紀の万博でたびたび行われた「人間動物園」に触れる。西洋列強が植民地住民を展示するという構図に、観光のまなざしが持つ暴力性がとてもよく表れているからだ。
しかし「見る」側が冷たい視…









