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ヴェルニー公園に立つ小栗上野介忠順の像=2025年9月11日午前11時19分、神奈川県横須賀市、平賀拓史撮影
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 「偉人小栗上野介 罪なくして此所(ここ)に斬らる」

 田んぼが広がる山あい。そこに静かに立つ碑は、何かやむにやまれぬ思いを訴えかけてくるように見えた。

 群馬県高崎市倉渕町(旧倉渕村)。2027年のNHK大河ドラマ「逆賊の幕臣」の主人公で、司馬遼太郎からも先見性が高く評価された幕臣・小栗上野介忠順(ただまさ)(1827~68)は、この地で新政府軍に斬首された。

 小栗は幕末期、勘定奉行や軍艦奉行を歴任して幕政を支えた。慶応4(1868)年1月、徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いに敗れ江戸に戻ると、新政府軍を迎撃する策を献じるが、聞き入れられず隠棲(いんせい)を決意。3月に所領の一部だった現在の倉渕町権田地区に移住した。

 しかし、そこに進軍してきた新政府側の部隊に捕らえられ、取り調べられることなく非業の死を遂げた。

 小栗がこの地で暮らしたのは約2カ月間にすぎないが、「終焉(しゅうえん)の地」の碑をはじめ、地区のあちこちに小栗が顔を出す。国道の東側にある観音山という小高い山を登ると、小栗が構えた邸宅の跡があった。見通しのよい開けた空き地で、近くの集落に小栗が測量して引いたと伝わる「小高用水」は現在も使われている。当時の小栗の手早い仕事ぶりをうかがわせる。

遣米使節で地球一周

 小栗が仮住まいとして身を寄せていたのが、権田にある東善寺だ。寺を訪れると、住職の村上泰賢さん(84)が出迎えてくれた。

 「薩長中心史観によって、小栗の功績は長い間覆い隠されてきた」と村上さん。長年小栗の顕彰に取り組み、数少ない評伝「小栗上野介」(平凡社新書)も執筆している。

 小栗とは、いったいどんな人物だったのだろう。黒船来航から開国に至る激動の時代に頭角を現すと、万延元(1860)年、日本初の公式遣米使節の目付(監察官)として海を渡っている。

 米軍艦ポーハタン号に乗り込み日本を発った小栗ら使節団は、ハワイを経由して2カ月近くかけてサンフランシスコに到着。鉄道や造船所といった近代産業や米国の政治制度について、見聞を深めて帰国した。遣米使節といえば、勝海舟が乗り込んだ咸臨丸が有名だが、当時咸臨丸はあくまでポーハタン号の護衛船という扱いだった。

 「咸臨丸だけが後世に大きく…

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